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I Love you【後編】
   
 殷の羌族狩りから逃れた人々が作った小さな集落―――そこに私たちはいた。


 本体は怠惰スーツに入ったまま羊の上に横たえ、立体映像の状態で村を見渡している私と・・・・

 近くの柵の上に腰掛け、さっきからオカリナを吹いている少女。



 私の養女であり、かつて夢の中で恋焦がれた存在と同じ道を歩む運命の者・・・・

 名を邑姜という。



「邑姜、今日は何か聞きたいことがあったんじゃない?
用のない時は起こすなと言っておいたはずだからね。」

 邑姜はオカリナを吹くのを止め(ちなみにさっきまで吹いていたのは、羌族の古い歌だ)、
じっと私の目を見つめ返した。

「私は老子とは結婚できないのですか?」

「・・・またその質問?答えるのめんどくさいなあ。」
「だって老子が好きですし。それに、私たちは血もつながってないし・・・
実際に私の世話をするのは村の人で老子は寝てばかり。それで親子と呼べるのでしょうか?」

「親として、あなたの役に立つ知識は教えてきたつもりだよ。
・・・ところで邑姜、あなたはいつまでたっても私のことを父と呼んでくれないんだね。」
「私の父は死にました。」
 
 私は溜め息をついた。




 この村に非難してきた彼女を娘にしてから数年が過ぎていた。
 家族を亡くし、生きる屍のようになっていた彼女も、今は元気を取り戻し、時折笑顔も見せるようになった。
 ただし、今の所私に対してのみ、だが。


「分かってると思うけど、私はあなたが思ってるよりずっと年を取っているし怠け者だ。
あなたが出会うべき人は他にいる。そういう未来を見たからね。」
「未来・・・もし分かるのなら教えて下さい。それはどんな人なんですか?
出会った時、本当に私はその人を好きになれるのでしょうか?」
「それは会ってみれば分かるよ。」

 邑姜はその可愛らしいほっぺをぷうっと膨らませた。
「・・・ずるい。」
「ふあー、眠くなってきちゃった・・・邑姜もそろそろ寝る?」

 彼女はぴょんと柵から飛び降りると、こっちに走り寄ってきた。

「老子があの子守り歌を歌ってくれるのなら。」
「あれかい?気に入ったの?」
「はい!あの時老子が歌った時、初めて聞いたはずなのになぜかすごく懐かしい感じがしたんです。
何と言うか・・・あれを歌っている時の老子はちゃんと親に見えますよ。」
「・・・それ、誉めてるの?」
くすくすと笑っている邑姜は、いつものシニカルで大人っぽい彼女とは違い、年相応の子供の顔をしていた。



 私はゆっくりと歌い出す。
 夢の中で恋焦がれた「あの人」が歌っていた子守り歌を。

 周という国の王妃「邑姜」の歌を・・・・


「老子、その歌はあなたの好きな人に教わったのですか?」

 半分眠りかけの邑姜が聞いてくる。

「どうしてそう思う?」
「私が老子を好きになったのは、歌っている時だったから・・・
老子の方もそうじゃないかって・・・どうしてその人と一緒になろうと思わなかったのですか・・・?」


 一緒になること、そして想いを告げること。
 前はそんなこと思いつきもしなかった。
 私は過去の出来事を見ているだけだったから、「あの人」が私を見ることも言葉をかけることもない。

 だけど今は、こちらをじっと見つめ、子守り歌に耳を傾けている私の娘・邑姜がいる。


「・・・だからこうして一緒にいるんだよ、邑姜。
まさかこの歌を教えたのが未来の自分だとは思わないだろうね。」

 邑姜は既に寝息をたてている。
 私は彼女の頭をなでると、自分も深い眠りに落ちた。夢の続きを見るために。






「今、何と言いました?老子。」

 邑姜はオカリナを吹く手を止めた。
 あれからさらに数年が過ぎている。

「あなたに桃源郷に行ってもらいたいんだ。そこであなたの血縁の者が来るのを待っていて欲しい。
仕事は長老に言えば何とかしてくれるから・・・」

「私に・・・ここから出ていけと?」

 うつむいているので表情はよく見えない。
 が、怒っているのは事実だった。

「あなたは賢いし、しっかり者だ。まだ若いが、もう充分ひとりでやっていける。
何より、あなたを信頼してるんだよ。」
「私はもう必要ないのですね。」

 突拍子もない言葉に、思わず返答につまる。涙声だった。


「いつの頃からか・・・老子が私に誰かの影を重ねて見ているのは気づいてました。
・・・それでもよかったんです、老子にとって大切な存在になれるなら。
あなたが父になってくれた時は、すごく嬉しかった。親を失ってしまった私にとって、老子は大切な家族だったんです。

・・・だけどあなたは私を何とも思っていない!誰かの面影を追うことはあっても、
老子は面と向かって私自身を見ることを避けています。」

「そんなことは・・・」
 困惑した。邑姜にそんな風に思われていたなんて・・・

 いや、私自身父親を気取っているだけで、本当は彼女の心に全く気づかなかったのかもしれない。

「幼い頃、私が戯れで結婚したいなどと言ったのを覚えていますか?
本気で言ったわけではないですが・・・それぐらい好きだったのは確かです。
初恋だったのかもしれません・・・・・・でも・・・」

 彼女が顔を上げる。涙はこぼれていない。
 私は出会ってから、この子の涙を見たことがなかった。


「父としてのあなたは嫌いです!」


 厳しい口調で叩きつける様に言うと、邑姜は短く一礼して桃源郷へと向かっていった。





「父親失格か・・・・」

 私はぼんやりと邑姜が去った後の草原を眺めていた。
 相変わらず本体は怠惰スーツの中だが、なぜか以前のように深く眠ることができない。

 その時、どこからか流れてくるオカリナの音にはっとなって振り向くと、
そこには申公豹が立っていた。

「お久し振りです、太上老君。こんな羌族の村に移っていたとは。
・・・おや、良い音色ですね。むこうで子供がオカリナを吹いていましたが。」
「そうだね・・・」

「めずらしいですね、あなたがそのように思いにふけっているのは。
初恋の話以来じゃありませんか。・・・よかったらまた聞かせてくれませんか?」

 彼はいつも邑姜が腰掛けていた柵の上に座った。
 いつもならめんどくさいことこの上ないが、なぜかこの時は話を聞いて欲しい気分になった。

 彼の言うとおり、あの時と同じ・・・いや、以前とは空気が違う。




「そうですか・・・あなたが養女を持ったことは聞いていましたが・・・・
確か、太公望の唯一の血縁の者だとか。

そう言えば、あなたが昔語ってくれた夢にも『邑姜』はいましたね。」

 恋のお相手の、と付け加えて申公豹が口元に笑みを浮かべる。

 何がおかしいのか知らないが、考えるのも面倒なので無視する。


「私の想い人は、未来の邑姜なんだよ。」

「未来・・・ですか。あなたには見えていましたね。
しかし果たして、それは本当に未来なんでしょうか?」

 申公豹は薄々気づいている。
 私が見ているのは、女禍の星で起こった過去の出来事であることを。

 だからと言って、この星を女禍が支配する限り、それは未来の出来事にもなることには違いない。


「ま、いいでしょう。・・・私が思うに、あなたは自分の娘が『邑姜』であることを意識しすぎなんですよ。
想い人と同じ感情を持つまいとして、かえって彼女自身をちゃんと見ていない。
それでは父とは言えません。怒るのも当然です。

おそらくあなたは、無意識のうちに彼女への恋心を無理矢理すりかえようとしたところがあったのでは?

夢の中では、神話の登場人物に恋をするようなもの。
それが現実になるということは、比べ物にならないほど苦しいことです。
あなたにとってそれはとてつもなく面倒でもあり、不都合な感情だったんでしょう。

それならいっそ恋心に近い感情・・・娘として見る方が、という気持ちが・・・



・・・まあ、それは言い過ぎだし、冗談ですがね。
全く思い当たらないことでもないでしょう?
それくらいあなたは本気で彼女を好きだったんですから・・・
少なくとも、私にはそう見えましたが。


そうは言っても、あなたは決して馬鹿じゃないから、分かっているんでしょう?
想い人とは言え、所詮は夢――あなたの言うとおり、未来としておきましょうか――の存在なんです。

けれどあなたの娘である『邑姜』は、今現実に生きていて、あなたを見ているんです。
例えこの二人が全くの同一人物でも、私に言わせれば別人です。
・・・特に意識しなくても、抱く気持ちまで同じになるなんてないと思いますがね。」



 申公豹は弟子でありながら、時々こうして私に意見する時がある。
(私自身師弟関係の細かいことまで気にするのは面倒なので放っているが)
 彼の言うことは、私の心の内を代弁したようなもので、そんなことは最初から分かっていた。

 分かってはいたけど・・・


「確かに私は現実の人間に執着するのを避けているのかもね。
・・・夢なんて、映像を見ているようなものだけど、実際の対人関係はそうはいかない。
どんなに知識を所有しようと、心の問題ばかりは経験してみないと。

・・・やはりめんどくさいものだね。」

「そんなに難しく考えることではありませんよ。
こういうのは理屈ではなく直感で感じるんです。
それが恋であれ親子の情であれ、その時そう感じたなら、それでいいと思いますがね。

・・・私にも直感でライバルと認めた者がいます。
その時はどうしようもない未熟者だったにもかかわらずね。」


 多分、太公望・・・王奕のことを言ってるんだろう。


「あなたは私よりも経験豊富のようだね、申公豹。」
「それはもう、起きていますから。
・・・では私はこれで失礼しますよ、太公望の様子を見に行かなければなりませんから。

あなたも自分の娘くらい、ちゃんと見ておやりなさい。
親子のふれあいに、めんどくさいなんて通用しませんよ。」

 そう言って、彼は去っていった。




 それを見送りながら、私は邑姜と出会った日のことを思い出していた。

 あの日、初めて会ったはずなのに、私は彼女が「邑姜」であることが分かった。


 そう、直感で。


 でも、もしかしたら「邑姜」かどうかなんて、どうでもよかったのかもしれない。



 私は一目で、あの家族をなくした憐れな子供を好きになってしまったんだ。



 それは私たちが親子になるべくして出会った運命――女禍の思惑からもはずれたこの星の流れ――が見えたことにもなる。


「邑姜・・・」

 思わず、ここにはいない自分の娘の名を口にしていた。
 邑姜がいなくて、こんなに寂しいと思ったことはなかった。

 胸の奥が痛い。

「邑姜」は私にとって、本当に大事な存在になっていたんだ・・・



 いつのまにか、オカリナを吹く音は止んでいた。

「邑姜のオカリナが・・・また聞きたいなあ。」

 今思うのは、ただそれだけ。

 この気持ちが何なのか、「あの人」の影を引きずっているのかは一切考えないことにした。


 流れに身を委ねる。


 答えは、彼女がもう一度この場所に帰ってきた時に見つかるのだろう。






 そして、邑姜は戻ってきた。
 封神計画の鍵となる男・太公望を連れて。

 桃源郷にいる間、自分なりに考えたんだろう、迷いのない目をしていた。
「あの人」と同じ、毅然とした瞳で。


 太公望――王奕の魂魄を持つ者――と、夢の中で問答をした。
 未来は決まっている、それでもあがくのかと問う。
 それは、私自身がずっと持ち続けた疑問でもあった。
 太公望は言う。

「やってみなければ分からぬよ。」

 それは王奕の、最初の人としての答えでもあったんだろう。
 過去をなぞるのではない、本当の未来。
 そこでは果たして、邑姜はどんな人間になるのだろう。

 私は彼女に、どんな感情を抱くだろう・・・・





 いよいよ牧野の戦いが始まるという情報が入り、羌族の統領である邑姜のまわりは慌ただしくなった。
 邑姜が私に会いにくると、彼女は怠惰スーツから出てきた私に驚いたようだ。

 邑姜の服装は、いつものワンピースの上に、私の服とよく似たデザインの上着を羽織ったものだった。
 願かけです、と彼女は言う。

「どうしたんだい?そろそろ出発したほうがいいと思うんだけど。」
「その前に、どうしてもあなたに聞いて欲しいものがあるんです。」

 邑姜はオカリナを取り出した。
 小さい頃からずっと使っていて、もう古くなってしまっている。
 
 唇をあてると、彼女は静かに吹き始めた。


 あっ、と声をあげた。


 私がいつも歌って聞かせた子守り歌が、草原をかけるメロディーとなって、オカリナから紡ぎ出されている。

 女禍の夢の中で、決してこちらを見ることはなかった想い人の歌を、
今は娘が、私のために奏でている。


やがて演奏が終わると、彼女は唇を離した。


「本当は歌ってあげたかったんですが・・・老子ほど上手くありませんので。」

 彼女の目は涙で濡れている。

 初めて見る、涙だった。

 私も多分、泣いたんだろう。
 いつもははっきり見えるはずの邑姜の姿がぼやけている。

「充分だよ。ずっとあなたのオカリナが聞きたかったんだから・・・
歌の方は、いつかあなたの大事な人に聞かせてあげるんだね。」


「いつか言った・・・嫌いというのは嘘ですから。」


 とても小さく、けれどはっきりと言った邑姜に、
私はにっこりと笑いかけると、彼女の頭の上にポンと手を乗せる。
 昔、寝る前によくやったように。


「私は幸せだよ、邑姜。あなたが娘になってくれて。」
「老子・・・いえ、お父様!」
 邑姜がすがりつく。私は彼女をしっかりと抱きしめた。
 
 胸が痛い。
 大切な人と別れる気持ち・・・ずっと眠っていた時には持たなかった。




「結局、最後まで教えてくれませんでしたね。
私の運命の人と・・・あなたが好きだった人。」

 私は村の入り口まで見送り、馬にまたがった彼女を見上げた。

「私が好きなのは、邑姜だよ。」
「嘘。」
 そう言いながらも、邑姜は笑っていた。
「あなたの出会うべき人は・・・」
「会えば、分かるのですね?」
「そう。」

 そしてふたりで顔を見合わせ、微笑む。


 本当に綺麗だと思った。


 彼女を他の男にくれてやるのはすごく悔しいし、寂しい。

 この胸の痛みは、あの人に抱いた気持ちとは明らかに違っていた。
 今、目の前にいる邑姜は本当に私の娘になったんだな、と納得した。


「では老子、行ってまいります。」
「またね、邑姜。」

 さよならは言わなかった。
 生きていれば、いつかまた会うこともあるんだろう。


 たとえ死んでも、生まれ変わって、またこの場所で・・・





邑姜が旅立ったその日、私は不思議な夢を見た。 「あの人」が・・・・私がどんなに焦がれても届かなかった、周王朝最初の王妃・・・・・・・・・ 『邑姜』が。 こちらをじっと見つめている。 これは・・・私自身の夢なのか? それとも幻だろうか・・・・ 彼女が私を知っているはずはない。 私が生まれるよりもはるか遠い昔に生きて、死んだ存在なのだから。 けれど、『邑姜』が静かに、子守り歌を歌い始めた時、私は分かった。 あの歌は・・・自分の子だけのために歌っていたわけじゃない。 死んだ者も、これから生まれてくる子も、たとえ未来の遠い星の者たちも、 彼女は愛していたんだと。 心は永遠になくならない。 今、私に歌を捧げてくれているのは、彼女の「心」だった。 「やはりあなたは・・・すべての者の母だったよ、『邑姜』。 この星の邑姜の親になって、初めてあなたの気持ちが分かった。」 『邑姜』が、そっと微笑みを返したように見えた。 たとえ誰だろうと、心をなぞることなんてできない。 だから、愛する者が継いでいくんだろう。 永遠に。 「さようなら、邑姜。」 それは自分自身、消えていく幻に言ったのか、最愛の娘に言ったのか。 そしてそれが『邑姜』との最後の別れになる。 数日後、私が過去の出来事を覗き見ることは、永遠にできなくなった。 女禍が復活したのだ・・・・ (終)

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